役者として全力を出し尽くした芝居だった。昨年12月のパンク歌舞伎「地獄・極楽」久しぶりに「役者・原 智彦」に没頭できた。自分の身体をギリギリまで使い切った。途中いくつかの「ヤバイ時」もあったが乗り切れた。

一番ヤバかった時。

稽古も終盤にかかった頃、朝突然左耳が壊れた。左耳の高音が聞こえない。土管の中で千匹のセミが鳴き、人の声も自分の声も、いつもとまるで違って聞こえる。音の方角も分からない。音の距離感も計れない。自分の声が他人の声に聞こえる。こうなると、今自分がどこにいるのか、何を思って喋っているのか、まるで分からなくなる。「所在ない」「心の迷子」「不安のかたまり」‥。喋っているのに喋っている実感がない。この世じゃない異界へ自分だけハマっている感じ。終日ケイコの日だったので、昼食後しばらく昼寝したら、幸いなことに少し良くなってきた。夜になって元に戻り事無きを得た。

5年程前に同じ事があったが、治るのに1ヶ月かかった。今回は自分の喋っている事がわからずケイコができない状態だったので、早く治って本当に良かった。たぶん、役者と演出をやっているのであまりのストレスに心身が悲鳴をあげたのだろう。

‥アブナカッタ‥

私は最近「脳より身体の優位」を感じている。今回も耳の機能(身体)低下により言葉と心が分離して心のキャッチボールである芝居ができなくなった。いい体験だった。

今回の「地獄・極楽」は主人公の平清盛が最後に地獄の猛火に焼き尽くされるシーンで終わる。20分近く音楽と身体だけの表現。清盛役の私はそのシーンを骨だけでおどりたかった。そのために一年前から骨のおどり仕様の身体になるべく毎日朝一時間のトレーニングにあてた。

本番三週間前「心身」のストレスが最高の時だったので、体が耳の変調を通して限界ギリギリの一歩手前で「休め」と教えてくれたのだ。気がつけばボクサー並みの体つきになっていた。本番では一番辛いはずのラスト20分が、一番楽に演れた。心身共に嬉しがって自然に演れた。

ギリギリの所まで行かないと得られないものがある。あの日私は確かに骨で踊っていたのだ。

「身体」。大事に大切に付き合おう。次はナニ教えてくれるんだろう。