8月15日「橋の下夜市、大盆踊り大会」へ出向く。
「橋の下世界音楽祭」の主催だ。
去年は明るく賑やかな駅前だったのが、
今年は灯りのない、人もいない、橋の下の河原。
静かさと暗闇はたっぷりある。
期待して出かける。
大須から電車で50分、
ちょっとした考え事するのにちょうどいい。
駅から矢作川まで真っ直ぐ歩く。
雨上がりの夕焼雲に水色の空、
人気のないガランとした広い道路。
ダリやマグリットの画中を歩いているよう。
橋の下の河原に降りる。
草原の水たまりに板切れが渡してある、
久しぶりに見た。
たくさん並んだ出店、
それぞれ工夫を凝らした「面構え」ならぬ、「店構え」。
店主の楽しませようという心意気がいい。
日が落ちて暗くなってくると盆踊りが始まる。
亀島楽隊の音頭取りで。
やっぱり生はいいな。
DJだと一方通行のノリで寂しい。
小さかった盆踊りの輪も大きくなり、
その間を子供たちが走り回っている。
ビール片手にそんな光景を眺めていて思い出した記憶…
私が本当にちいちゃい頃の記憶。
私が生まれた信州木曽谷、山間の小さな村「須原」。
記憶といってもはっきりしたものでなく、
40wの裸電球みたいに薄ボンヤリしたもの…
山間なので日の暮れるのが早い。
日の暮れる前に盆行事を行う。
墓参り、座敷にお盆提灯、花、お供物などを一年で一番賑やかに飾り付ける。
子供の私は胡瓜や茄子で馬や牛を作るのが好きだった。
家中総出で女は食べ物、男は掃除飾り付け。
私は家の中や外廻りがいつもと違う晴れがましい風体になってゆくのに、
心弾ませたものだ。
ひと段落するとお茶で一休み。
そしてちょっといいよそ行きに着替え、寺へお墓参り。
帰ってから門前に井桁に組んだ迎え火を焚く。
松の木の根っこの芯で作る。
長時間燃えるのだ。
夕暮れ時に点火された迎え火も暗闇が深くなると輝きを増す。
松の匂いのする火の色をよく覚えている。
そしていよいよ待ちかねたこの夏一番の御馳走を戴く。
それからがお楽しみの盆踊り。
昔はお寺だったろう会場は、鉄道が引かれ駅前広場に移り、
時代が変わって無人駅になると、小学校の校庭に移った。
今はもう、学校も盆踊りもなくなった。
私の子供の頃は駅前だった。
櫓と提灯だけ。
大人は音頭取りを入れ替わり立ち代り、空が明るくなるまで踊ってた。
子供の私達は踊りより、犬みたいに走り回ってじゃれ合ってた。
以来私の脳の片隅にしか残っていない、
夏一番の晴れがましい想い出だ。
天の川輝く満天の星の下、
かがり火に照らされ赤ら顔の大人が誇らしげな張り声をあげる。
酒に酔い、声に酔い、腰の抜ける程踊る村中の人。
走り回る私。
3歳で村を離れて70年、
今、同じ様に私の目の前を走り回っている子供達がいる。
失くしたものに出会えてシンミリウレシイ…。